もっと来い!ビットコイン2022プロジェクト -高橋優太
どうも、高橋優太です。
ご存じかとは思いますが、こんな真面目なコラムを連載しながら、裏の顔としてミュージシャンという顔も持っています。
ここ1〜2年で新曲作成の要望を多くいただいていたにも関わらずずっと断り続けていましたが、ひょんなことからやる気が出てしまい、もっと来い!ビットコイン2022プロジェクトを始動することになりました。
今回はミュージシャンとしての過去のお話について少し触れさせていただき、今後の活動についてお話しさせていただきます。
そしてビジネスシーンでも活用できる考え方、「アウフヘーベン」についても解説していきたいと思います。
Contents
アーティスト歴23年の歴史
冒頭で私はミュージシャンだと言いましたが、ミュージシャンというカテゴリーですが、楽器ではなくラップをやっています。 Hey Hey!Yo Yo的な、あれです。 遡ること私が高校1年生の頃に、ブラックミュージックと出会い、ブラックな世界にのめり込んでいきました。 丁度その頃、日本ではEast END、キングギドラ、Budda Bland、Rhymester、雷家族などを中心に、新しい「J-HIP HOP」というジャンルが構成されつつありました。 当時ミクスチャーというジャンルのバンド、Dragon AshがHIP HOPに転身し、Grateful Daysというヒットソングを生んだあたりからお茶の間でも脚光を浴びるようになり、続々とPOP系HIP HOP(とアングラなヒップホッパー達は定義している)アーティストが売れ出し、数年足らずでJ-HIP HOPというジャンルがお茶の間で浸透していくという、最も伸び代のある時代にブラックミュージックと出会ったのです。 この辺の歴史についてはRhymesterのMC宇多丸が執筆した「ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」を読むと、J HIP HOPの起源から近代までの歴史を知ることができるので、もし興味のある方は読んでみてください。 また最近のHIP HOPは一周回って原点回帰され、よりストリートミュージック感が強いバトル形式がブームとなっています。 その辺りの歴史については、ダースレイダー著書「MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門」を読むと、ラップバトルの歴史を学ぶことができます。 話を自分の話に戻しますが、高校1年生の時、Dragon AshのGrateful Daysと出会いHIP HOPにハマり、そしてKick The Can Crewと出会い、自身がラップを始めるきっかけをもらった。 だいぶ端折りましたが、これが自分がラップを始めたきっかけになります。 元々仲の良かった友人が中学3年からラップをやっていたというのもありましたが、本気でハマり、自ら歌い手の方に回りたいと思ったのはKick The Can Crewのおかげでした。 そこから毎週地元静岡のクラブに入り浸り、見た目が恐ろしい先輩方に囲まれながら出演側としてイベントを盛り上げさせてもらい、大学に進出しても、渋谷のクラブ街でイベント三昧な生活を送っていました。 ここから色々とありますが長くなるのでかいつまんでお話ししますが、 大学の2年からあるきっかけによりストリートダンスにハマり、当時活動していたグループを脱退し、一旦私のラップ人生は休止のタイミングを迎えます。 そして社会人になり、ダンスの練習時間が取れず徐々に活動をフェードアウトし、練習しなくてもパフォーマンスができるDJに転身。そこから5年ほど活動し、演者側としての活動を完全にストップしたのが20代後半。 こんな感じです。 ちなみに高校から大学初年頃まで活動していたグループは今でもインディーズで活動を続けています。 現在は友人同士で立ち上げたレーベルに所属し、音楽活動を継続する傍ら、ボイストレーニングの先生やYoutubeや各SNSなどの動画制作なども行い、音楽業界を下支えしています。 ぶっちゃけメジャーレーベルに所属するよりもインディーズで活動していた方が稼げます。 その辺についてはまた機会があればお話しさせていただきたいと思います。 彼らRevival Stanceは、この後に紹介するCOINOTAKUのアルバム内でも2曲、フューチャリングという形で参加してくれているので、そちらも是非聴いていただけると嬉しいです。アーティストCOINOTAKUはナチュラルハイな状態から生まれた
そんな感じで一時は一線を退いていましたが、あるきっかけにより再度活動を始めることになります。 それがアーティストCOINOTAKUです。 こちらもご存じの方は多いかもしれません、2017年に仮想通貨の情報配信メディアCOINOTAKU(コインオタク)を立ち上げました。 当時はライターを雇うほどの余裕がなかったため、役員総出でコンテンツとなる記事を作成し、各々1日平均6記事を書くというノルマを持ち、メディアを育てていました。 ライターという仕事ですが、完全に知識を持った状態で書き始めた場合、5分くらいで読める記事(約2000文字程度)を作るのに平均1.5時間程度の時間を要します。 知識が乏しい分野などで調べながら書くケースですと、その倍以上の時間をかけて完成させます。 メディア立ち上げ当初に持っていた「1日平均6記事を書く」というノルマは、調べながらでないと書けない記事ばかりでしたので、6記事を書くためには単純計算で18時間くらいは必要になってくるわけです。 そんなことを数週間も続けていると、当然意識がおかしくなります。 別のことを考えていても手が勝手に文字を打つ・・・ そんな境地まで達した状態を続けていると、スポーツで言うところのランナーズハイ、寝不足が続いた状態で言うところのナチュラルハイ、そしてドラッグで決まった状態のような、そんな状態になるわけです。 この中で経験したことがあるハイな状態は寝不足が続いた状態で言うところのナチュラルハイだけですが、おそらくどれも同一カテゴリかと思います。 そんなハイな状態で無意識に手を動かしていると、若かりし頃の記憶が引っ張り出されてしまうようです。 気づいたら仮想通貨の「記事」ではなく「曲」を書いていたんですね。 これは本当に無意識、自分では「うわ!やっちまった」という恥ずかしい出来事でした。 しかし役員に笑い話として伝えたところ、非常に興味を持ってもらい、そこから本気で曲を作るという話に発展。気づいたらアルバムまでリリースし、国内だけでなく海外のビックイベントJapan EXPOにも度々出演するという、ちゃんとしたアーティスト活動を行うことにまで発展しました。 こんな無名アーティストがなぜ海外のビックイベントJapan EXPOに度々出演することができたか? それは珍しいからです。 多分単純にそれだけだったと思います。 なぜなら、曲の100%が仮想通貨に関連した歌詞で構成されていたからです。 アルバムのリードソング「もっと来い!ビットコイン」は仮想通貨の市場について歌った曲ですし、バラード調の曲「ライオン」はビットコインの気持ちをライオンに例えて歌った曲。 他にも当時トレンドワードとなった億り人(仮想通貨で億を稼いだ人)の気持ちを代弁した曲や、ビットコインのマイニングマシーンの気持ちを娼婦に例えた曲など、変化球の切り口でも必ず仮想通貨に戻るような曲ばかり。 そんな仮想通貨にコミットした面白いアーティストは、パッと出てすぐ解散した地下アイドルを除けば、今も昔もCOINOTAKUだけ。 そりゃ呼ばれますよね。 海外ではEXOPという大会場が中心でしたが、国内では通常のライブハウスイベントもあれば、ICOプロジェクトが投資家を集めて行うミートアップイベントや、カンファレンスのような場所でも歌いました。 観客がパイプ椅子に座って、壇上にはプレゼン用のスクリーンとスピーチ机という、普通の会議室で、スピーチ用のマイクで音が飛びながら歌ったこともありましたが、あれはマジで痺れましたね笑 そんなCOINOTAKUですが、コロナの影響もあり、また仮想通貨市場の冷え込み、そして自分自身が業界中心を少し離れたことなどが重なり、現在は活動を休止しています。 当時の活動記録は、以下の記事にまとめてありますのでこちらもご覧ください。 また全ての楽曲はApple Music、Spotify、Line Musicなどのストリーミングアプリで聴くことができますし、全国のCDショップでも手に入れることができます。 ただし売り上げは全く求めていませんので、どうしてもCDが欲しいという方がいらっしゃいましたら無料でも差し上げてますので、ご連絡いただけますと幸いです。活動休止からリスタートしなかった本当の理由
様々な理由から活動を休止したアーティストCOINOTAKUですが、休止してから今日に至るまでに何度も復活を期待する声をいただきました。 「◯◯のテーマで曲を作って欲しい」 「◯◯さんと一緒に曲を作って欲しい」 歌って欲しい、ではなく曲を作って欲しい、です。 確かにリリースしたアルバムは最高の出来だと思います。 何年経っても自分の曲を聴くたびに、よくこんな曲を作れたなと、自分でも驚くほど良くできています。 でも無理なんです。 前途の通り、あれは1日18時間文字を書き続けるという缶詰状態が生んだ産物。 そんなポンポンと作れるものではありません。 よくアーティストが違法ドラッグで逮捕されるニュースを耳にしますが、気持ちはとても良くわかります。 常に脳内がぶっ飛んでいたり好きな時に脳の状況をコントロールできる人は別として、通常の人間はドラッグでもなんでも使って故意的に感覚をぶっ飛ばさないと、継続的にいい曲を書くことはできないのです。 私も常人。アルバム制作をした頃と同じくらいの負荷がかかるかドラッグでもやらない限りは、同じクオリティのものを作るのは難しいと思っています。 そして無理な理由がもうひとつ。それはメンバー構成にあります。 自分一人であれば、今すぐ音を流して、音に合わせて即興でラップをすれば5分で1曲作ることができます。 しかしアーティストCOINOTAKUは3MC。 しかもメンバーの伊藤と酒井は自分と同じレベルのキャリアを持たず、アーティストとして活動する前はただの一般人です。 人前で歌う経験はカラオケやスナック、サラリーマン時代の忘年会の出し物くらいでしょうか。 そんな身内の前で歌うのと、ライブハウスやイベントで歌うのとは訳が違います。 場数を踏んでいなければ、それなりの準備をしなくてはいけません。 歌唱指導、立ち振る舞いの指導など、それなりの時間を要します。 自分のように1日中HIP HOPのことを考え、他のアーティストのLiveを日常的に見ているような人種であれば、感覚である程度できます。 どうやれば自分がカッコよく見えるか、どの姿勢で歌えば声に力が入るか、マイクパフォーマンスはどうすれば盛り上がるか、どうやれば観客の注目を引けるか・・・ この辺は日々見ているアーティストのLiveを思い出し、真似るだけです。 Everything、アイノカタチなど国民的ヒットソングを生んだアーティストMisia(ミーシャ)。 彼女の英語の発音はとてもキレイで、ネイティヴ英語と同じレベルで耳にすーっと入ってきます。 昔何かの雑誌のインタビューで語っていたのがとても記憶に強いのですが、実は彼女は英語が全く喋れないそうです(現在はわかりませんが)。 でもなぜあんなにキレイな発音ができるのか?とインタビュアーが聞くと、Misiaは以下のように答えます。 それは日常的に洋楽を聴いていたから。日本のアーティストではなく海外のアーティスト、特にゴスペルやR&Bのような黒人のパワフルな歌い方を日常的に聴いていて、いつか自分も彼女のように歌いたいと思いながら聴いていたから。なので私の英語は彼女たちのモノマネなんです。 若干ニュアンスが違うかもしれませんが、この20年ほど前に読んだインタビュー記事は今でも記憶に強く残っています。 この話は、この人のようになりたい!歌いたい!見せたい!という強い気持ちがあれば自然と感覚的にそれに近づくことができるという例えですが、ロックバンドとHIP HOP、オペラ歌手など、ジャンルによって見せ方や歌い方は全く違います。 話を戻すと、アーティストCOINOTAKUのメンバー、伊藤、酒井の本業はビジネスマンです。 音楽もHIP HOP系はあまり聴きません。 おそらくですが、彼らはアーティストCOINOTAKUとして活動するときだけ脳内をアーティスト脳に切り替えて、アーティストを演じます。 これは彼らと付き合って感じたこと。そして過去アーティストCOINOTAKUとして一緒に活動していて感じたことです。 「〇〇みたいに歌いたい!」「〇〇のように立ち振る舞いたい!」というイメージがなければ(薄ければ)、そしてそのイメージがHIP HOP系ではなければ、学校の授業のようにシステマチックに教える必要があります。 もし自分が満足するレベルまで成長をしてもらうよう教育した場合、毎日の反復練習と週1の指導、課題宿題を出してそれをクリア・・・ と考えていくと、一体何ヶ月かかるか。 私もそうですし彼らもそうですが、本業ビジネスで趣味がアーティストである限り、そこまでの時間は取れないのです。 時間が取れないといえばもう1つ。楽曲制作からリリースまでの流れについて。 カンタンに作業を説明しますとこんな感じ。 1、全体構成の草案を考える 2、イメージトラックを作成 3、歌詞作成 4、音に乗せてバランスを整える ※4まで行ったら2に戻り、2〜4をぐるぐる何周も行います 5、仮収録(高橋ひとり) 6、伊藤酒井に共有、歌唱指導 7、仮収録(3人) 8、バランス調整(納得がいかない場合は2に戻る) 9、本収録 10、トラックに音を付け足す 11、バランス整えて完成 1曲をリリースするということは、最低でもこれだけの工程が必要になり、この作業を自分ひとりでディレクションします。 本業アーティストの人がこれをやっても最低1ヶ月はかかりますので、私のような本業ビジネスマン、趣味アーティストという属性がこれをやるとなると、かなりの時間と労力を要します。 これも足が前に向かない理由のひとつです。 このように、活動再開を願う声を多数頂いていながらはぐらかしてきた理由は大きく3つ。 自分の精神状態、メンバーとのレベル(意識)差の、そして制作難易度。 これが、私がオファーに対してやる気を出せずにはぐらかしてきた本当の理由です。 曲作ってよ!と言われるたびに「ちゃんとした曲を作るのってそんなにカンタンなものじゃないから」と思います。 今でも、そして未来で言われたとしても同じように感じます。 そう、アーティストCOINOTAKUとして曲を作るということは、皆が思うほどカンタンなものではないのです。原点回帰により前に進むきっかけを手に入れる
先日、とあるきっかけにより原点に触れる機会がありました。 私のアーティスト人生の原点といえば高校1年生の頃に出会ったアーティスト、Kick The Can Crewです。 Kick The Can Crewは1997年に結成された3MCのHIP HOPグループです。 2001年にメジャーデビューし、紅白歌合戦や武道館ライブを行うほど人気を集めましたが、わずか3年後の2004年6月に活動を休止しています。 そこから個々で活動を続け、2017年月に再結成。そして現在に至るという軌跡を持ちます。 実際にライブに足を運んだことはありませんでしたが、今回初めてライブに行く機会があり、そして涙しました。 なぜ涙が出たか、どのタイミングで涙したかは覚えていませんが、とにかく心が震えたことは強く印象に残っています。 そして涙の滴が頬を撫でるのと同時に、また自分のアーティスト活動も前に足を進めていこうと決意したのも強く印象に残っています。 感覚的なことなのでうまく伝わらないかもしれませんが、その時確かに自分の中の何かが固まり、そして弾けて、涙という形で外に溢れてきた。そんな経験をしました。 きっかけはこれだけ。 ライブに足を運んだというたったこれだけのきっかけでしたが、このタイミングを機に前途のマイナスな気持ちを超えるほどのやる気がメラメラ燃え上がり、もっと来い!ビットコイン2022プロジェクトをスタートすることに至りました。 約3ヶ月かけて生み出される我が子のような楽曲が、どのような形で生み出されるか。 今から楽しみで仕方がありません。出典: https://www.jvcmusic.co.jp/kickthecancrew/