祖父の死・死と向き合うということ

温かくなって来ましたね!Saka Yamaです。

 

2022年2月27日に祖父が92歳でこの世からさよならしました。

3月6日現在で、丁度1週間前のことです。

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92年間大きな病気もありませんでしたが、亡くなる数ヶ月前から

体の故障が多くなり、心臓の弁の故障で入院。

手術をしないと危ないと言われていましたが、

今更メスを入れて長生きしようという年齢でもない

と感じていたのか、すぐに退院して死ぬまで

自宅で生活をする選択をしました。

 

その数日後にやはり心臓の弁が原因で、

自宅で永眠することとなりました。

 

最後の最後までほとんど周りに面倒をかけずに他界した

というのは祖父らしい、潔い最後だったなと思いました。

 

祖父は戦時中に生まれ、9人兄弟で日本中が貧乏な

時代に生まれ、小卒でも大きな会社に就職し、

退職後に不動産や農家、花で賞を取るなど様々な

事業に取り組んで1代で財を築きました。

一緒に庭で自宅で笑顔の多世代家族の肖像画 ストックフォト

3人の子供、14人の孫と曽孫を持ち、子供にそれぞれ

一戸建ての家を建てる業を成し遂げました。

超絶貧乏な幼少期があったからこそ、絶対に貧乏から

抜け出そうと亡くなる数週間前まで畑仕事で働き、

止まると死んでしまうサメのように一心不乱に

働き続ける人だったような記憶があります。

 

本当に負けず嫌いで、自分の決めたことはとことんやる、

大将気質で仲間も多かったように思います。

 

幼少期、僕は学校が終わると毎日真っ先に祖父の家に

帰って畑仕事を手伝ったり、遊んでもらいましたので、

比較的祖父母との関係は深い方かなと思っています。

 

そんな祖父が他界したという知らせを聞いた時は

現実的な感じが全くしませんでした。

前もって間もなくその時間が来そうだと、覚悟しておけ

と言われていたので、心の準備もある程度できていました。

 

遺された89歳の祖母は、祖父の葬式後に

「お婆ちゃんは大丈夫、寂しくないよ」

と気丈に振る舞っていました。

 

60年以上も一緒に添い遂げた祖父が亡くなり、

大丈夫だとは思いませんが、幸い3人の子供達が

全員徒歩5分圏内に住んでいて、毎日交代で

祖父や祖母の家で食事をしたりしているのを見ていて、

大丈夫だし、家族ってやっぱいいな〜と思いました。

 

自分自身、両親にその時が来て1人になってしまう時が来たら

全力でサポートしていきたいなと改めて思いました。

 

この1週間で親しい人間の死というものの捉え方を

考えていましたが、一般的な結論は出せないと感じました。

一つ言える事はそれぞれの関係性があり、残された人は

それぞれ残りの人生を生きて行かなくてはならないこと。

 

遺された人間として、自分が死んだ時に

妻や子供達にどう向き合って欲しいかを考えて、

自分を納得させるしかないと感じています。

 

まず死はネガティブな事ではなく、人間が生きた証拠であり、

自然の摂理に従った美しい事であると受け止める事が大事です。

 

自分が死んだ時は親族には数日悲しんでもらって、

後は残りの人生を後悔なく楽しく生きて欲しいです。

 

仮に今自分が死んだとして、人生100年時代、

私も妻もまだまだ折り返し地点にすら立っていません。

これから50年以上も子供が居るとはいえ、妻が1人で

生きて行かなくては行けないなんてことはないでしょう。

新しい伴侶と、遺された人間として豊かな人生を送るべきです。

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子供たちは1年に一回お墓の前で、子供が成し遂げたこと、

成し遂げられなかったことなんかを報告しに来てくれれば十分。

 

先に逝った者としては、出来るだけ遺された者達の

豊かな人生を送る邪魔をしたくはないですよね。

 

人生や死の考えか方は年齢によって変化して来ていますが、

今のところは「人生は壮大な暇つぶし」であり、

壮大な夢を持ってバカになって楽しいと思えることをやり通す、

自分と共に周りが満足出来るような人生を1分1秒でも

長くやり通すことが豊かな人生を送ることだと思っています。

 

では、さよなら〜